焼物を中心として築かれてきた
益子町の民芸と芸術文化


BC2500〜

BC300〜

AD300〜



嘉永6年(1853)
安政4年(1857)
明治2年(1969)
明治6年(1873)

明治21年(1888)
明治36年(1903)

大正2年(1913)
大正13年(1938)
昭和5年(1930)
昭和13年(1938)
昭和14年(1939)
昭和22年(1947)
昭和24年(1949)
昭和26年(1951)

昭和28年(1953)

昭和30年(1955)
昭和31年(1956)
昭和34年(1959)
昭和42年(1967)
昭和43年(1968)
昭和44年(1969)
昭和51年(1976)
昭和52年(1977)
昭和53年(1978)
昭和54年(1979)
昭和55年(1980)
昭和57年(1982)
昭和60年(1985)
昭和63年(1988)
平成2年(1990)
平成5年(1993)
平成8年(1996)
縄文式土器が山居台、境、本沼、聖ヶ丘遺跡などから、
石器などと共に出土する
弥生式土器が山居台、聖ヶ丘、向北原遺跡などから、
出土する
土師器が東台遺跡などから出土する
8〜9世紀古墳時代後期頃、脇屋、滝ノ入、倉見沢、
原東窯跡などから須恵器と瓦が出土し、ろくろと窯が
使われ始めた。
大塚啓三郎、益子焼の製造を始める 称平徳利が作られる
黒羽藩、6窯元に窯業奨励覚書を交付
黒羽藩「瀬戸焼仕法」を交付し、保護管理する
栃木県となり、益子は民窯として再出発
このころ益子焼が東京方面に出荷されるようになる
益子に陶器会社ができる このころ汽車土瓶が出回る
益子陶器業組合が結成され、益子陶器伝習所が
根古屋に設立される
益子焼陶器伝習所を町立に移管
濱田庄司が益子に移住
益子陶器伝習所を町立陶器試験場と改名
皆川マス女子、世界工芸展でヒットラー賞受賞
町立陶器試験場が栃木県窯業指導所となる
天皇陛下、益子に行幸
濱田庄司、栃木県文化功労章受賞
栃木県陶磁器陶土工業組合えお結成、
翌年栃木県陶磁器協同組合と改称
皆川マス、栃木県文化功労章受賞
濱田庄司、芸術奨励賞文部大臣賞受賞
濱田庄司、重要無形文化財保持者として認定
このころから、釜っこが出荷されるようになる
佐久間藤太郎、栃木県文化功労章を受賞
加守田章二、高村光太郎賞を受賞
濱田庄司、文化勲章受賞
濱田庄司、益子町名誉町民となる
陶芸の森オープン
濱田庄司、益子参考館を開館
濱田庄司、死去(83歳)
伝統工芸品に指定される(窯元247軒)
島岡達三、栃木県文化功労章受賞
町ぐるみの陶器市が開催
村田元、栃木県文化功労章受賞
日下田博、栃木県文化功労章受賞
笹島喜平、栃木県文化功労章受賞
陶芸メッセ・益子オープン
島岡達三、重要無形文化財保持者として認定



歴史的陶器ギャラリー



東台遺跡(縄文土器)


車堂遺跡(弥生土器)


向北原遺跡(土師器)


江戸末期(盛皿・白掛呉須絵)


明治中期(土瓶・筒描)


明治中期(土瓶・白刷毛目文)


大正(汽車土瓶)